炊き出しに行ってきました
お知らせ
ガネーシャでは、2月2日・3日に輪島・能登・七尾へ炊き出しへ行ってきました。
そこで見た景色、感じた記録を、残そうと思います。
1月1日に起こった、令和6年能登半島地震での大震災。
我々の住む富山県も被災する中で、隣県に起きた驚くほど大きな被害を目の当たりにして、
ガネーシャでは1月からずっとボランティアでお弁当の配布や炊き出しを行ってきました。
自分たちが実感したからこそわかる、大きな揺れへの恐怖。
身近な県だからこそわかる、被害の大きさ。
自分たちに”今”何ができるのかを考え、行動していくことが重要だと考えた我々は、
何よりも自分たちにできる『食』を提供することで命を繋ぐ手助けがしたいと思い、行動しました。
そんな中で、たくさんの企業からの食材の協賛をいただき、
たくさんの方からのボランティア協力の申請がありました。
本当にありがとうございます。
そして今回、我々が2023年にプロデュースを行った
『焼肉牛宮城』に手を挙げてもらったことをきっかけに、
『焼肉牛宮城』『オムサコライス』『焼肉ハウス大将軍』
の3店舗が手を取り合って、炊き出しを実施できる運びとなりました。
当日は宮迫博之さんをはじめとして、
『わたし、銀座の女【ななえママ】』としてSNSで大活躍中で、『クラブNanae』をはじめ
『オムサコライス』を経営しているななえママ。
キングコング西野亮廣さんの元スタッフ、そして自らがオンラインサロン設立者の
田村プロデューサーのチームとタッグを組み、
市役所と連絡をとり、情報を確認して、許可をいただいて、
その後も何度も何度もチーム内でミーティングを繰り返し、
必要なものを、どれだけ無駄なく、美味しく、暖かく届けられるか。
被災者をはじめ、市役所職員の皆様、ボランティア団体の皆様まで元気を届けられるか。
を議論して当日に臨みました。
炊き出しの当日は、雪の降る寒い1日となってしまいました。
お昼は輪島『門前公民館』へ。
道中にコンビニで食事やトイレによらなくてもいいように事前にしっかりと準備をして出発。
金沢市内から向かうも、輪島市までは約4時間半かかりました。
輪島市内に近づくにつれて、道路が陥没し、家や店は崩落。
バラバラに倒れた家屋もあれば、足を畳んだようにペシャンコの建物も。
至る所にあるカラーコーンとひび割れた道路は、メディアで放送されていたそれとは、
似て、非なるものでした。
1日目の夜は、能登町へ。
『炊き出しに行く』という告知を、するか、しないか、
様々なリスクを考えて、議論して、時には喧嘩になって。
本当に時間をかけて悩んで、それでもやはり
『行くからにはたくさんの人に元気を与えたい』
という思いが勝り、SNSで発信した炊き出しの実施。
結果は、目を疑うほど多くの方の姿。
市役所から聞いていた、避難所にいらっしゃる方々の数字を遥かに上回る人数でした。
こんなにも、自宅避難されているかたがいらっしゃるのかと、本当に目を疑いました。
もちろん用意していた食数では足りず、想定していた数より遥かに多い食事を、
具のなくなったケチャップライスのフライパンをふり、提供しました。
雪の降り頻る能登町で、半袖になって。
2日目は、七尾市へ。
こちらでは、避難所の方々に確実にお届けできるようにと、告知はなし。
ここでも沢山の避難所の方に食事を提供しました。
大きな体育館に、ダンボールでできた役2mほどのお家が並んでいました。
避難されていたお母さんは『捨てられた子猫ちゃんの気持ちがわかるようになった』
と教えてくださいました。
2日間、必死になってお食事を提供する中で、
本当に沢山の『ありがとう』をいただきました。
その『ありがとう』は、力強く、思いのこもったものでした。
『こんなにしてもらって、何にもなくなったけれど、何かお返しがしたい。』
『きてくれて本当にありがとう。』
『元気をもらえた。おいしかった。』
私たちが逆に元気づけられるような笑顔と言葉をいただきました。
急に失った、日常の生活。
どれだけショックだったのか、私たちにはわかりません。
でも、力強く、前を向いて、これから、のことを考えている皆さんの姿を見て、
我々も、今できることを考え、行動しようと思いました。
今後も、我々にできることを日々模索しながら、力強く、生きていく。
被災地の1日も早い復興をお祈りしています。